[ 本共同研究の独自性 ]

 世界中に離散し差別や迫害を受けてきた人びとが共同体を保ち続けることは、どのような行為の積み重ねによって可能になったのでしょうか。本共同研究では、特にユダヤ人とロマ/「ジプシー」といった人びとの想起の営みに焦点を当てることで、彼らのようなディアスポラ共同体の持続と生成のメカニズムを明らかにしていこうとしています。

 特に着目しているのは、第一に、想起にもちいられる媒体がもつ個人と集団を結ぶはたらきです。想起にもちいられる媒体に着目することで、記憶を個人や集団に還元する視点を回避し、異なるものがいかに人の相互行為を促しネットワークを構築したり解体したりしているのか、という点にアプローチすることが可能になります。想起の際にもちいられる媒体が集団の内側と外側との間を移動することで、それが人びとの行為や関係性を再調整する結節点となる点に注目しています。異なる媒体がもつ特徴に留意しながら、あるものが共同体としての記憶を個人や集団にうながす契機や過程について探求します。

 第二に、想起の構築主義的な議論にとどまらず、想起に抗う記憶から共同体の生成メカニズムについて考察します。1980年代以降興隆する集合的記憶論においては、集団は客観的な属性ではなく、共有された記憶の枠組みにもとづいて集団の成員が行う想起によって構築されるものとされてきました。集合的記憶論は、記憶の枠組みを構成する「記憶の場」をめぐるポリティクスの議論を活発化させましたが、そこでは個人が容易に想起できない次元(例:トラウマ、忘却、誤記憶)や沈黙、いわば想起の困難さがもつ可能性について十分議論されているとはいえません。本研究では、想起にもちいられるものとその文脈を明らかにし、起源や迫害の歴史など想起に抗う記憶の共有のあり方が共同体形成に及ぼす影響について探求します。

 第三に、第一と第二で明らかにした想起の側面がいかにディアスポラの共同体としての持続に関わっているのか、そのメカニズムを明らかにしていきます。失われた故郷や起源を集団的に想起し復元することを目指す場合、単一の領土や共同体像によって現在を成型するナショナリズムを生みかねません。また、集団の過去を単に分散的なものとし、個人的な領域のみの提示にとどまるものとするなら、いかに今日までディアスポラが共同体として持続してきたのか、という問いが残ります。集団の内部と外部とを置き換える可能性をはらむ想起の媒体が、想起の困難さを超えて異なる人びとに共有されることで、常に開かれた記憶のアーカイヴとなりディアスポラの共同体としての現在を支えている動態を明らかにしていきます。

 人の移動が活発化し帰属が多様化する現代社会において、想起の媒体が喚起するさまざまなつながりの場の生成について検討することは、狭義のディアスポラのみならず、流動的な環境で自らの帰属を求める人びとにとっての共同体のあり方を提示してくれるでしょう。さらには、「人間にとって記憶とは何か」という普遍的な問いに対する貢献にもなりうるでしょう。

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