左地亮子(東洋大学)
報告者はこれまで、フランスのジプシー・マヌーシュを主たる調査対象として、「死者への敬意」のため、死者について沈黙し、個別的で特異な記憶をもつ他者を代表=代理する集合的想起を回避する人びとの振る舞いを検討してきた。一方、近年のフランスおよびヨーロッパの諸地域のジプシー/ロマのあいだでは、ナチス・ドイツによるホロコーストをはじめとする過去の迫害をめぐる想起運動が活発化している。ドイツ、ポーランド、フランスにおけるジプシー/ロマ迫害をめぐるコメモラシオン運動、ヨーロッパのロマ・アーティストによる記憶をテーマとした造形芸術の生産など、報告者が近年現地調査を進めてきた想起の諸実践は、個々の死者の記憶をジプシー/ロマ共同体が共有し、伝承すべき記憶として集合的に想起することを目指す点で、マヌーシュの沈黙の記憶行為―過去表象にもとづく集合的想起の回避と性質を異にする。
本報告では、こうしたヨーロッパ諸地域で個別的ないしは地域横断的に展開するジプシー/ロマの想起の諸実践をとりあげ、ディアスポラ共同体の想起の多方向的な展開を、客体化された知としての記憶と身体的感性的経験としての想起、ネイションに向かう求心的なベクトルと分散する多方向的で脱中心的なベクトルが同時に存在、共存し、衝突する様子として考察した。また、8月2日のロマ国際ホロコースト記念日で掲げられるメッセージ"Dikh He Na Bister"(見て、忘れるな)」を手がかりに、不可視の過去や他者と身体を媒介に直接的、感覚的に関わり合うプロセスとして想起を検討することで、「持続する現在」とそれを支える環境としてのガジェ社会というジプシー/ロマ特有の集合的時間と想起の媒体について指摘した。ここからは、過去を「今、ここ」と連続しているものとして把捉し、「かつてあって、今もある」事物事象をガジェ社会という共同体外部の物理的環境において探索するジプシー/ロマに特有の想起のハビトゥスがうかがえる。その独自の時間と空間の枠組みは、ホロコーストの以前と以後が「断絶」として語られ、自分たちの家庭と共同体内部に想起の媒体を残してきたユダヤ人ディアスポラとの差異を示すようにみえるが、この点については、今後さらに丁寧に共同研究のなかで議論していきたい。