高木光太郎(青山学院大学社会情報学部)
証言者は、過去の出来事を回想し、それを自身が体験した「事実」として他者に語る。このような証言者の言葉を「聴く」行為は、厄災の伝承、事件の捜査や裁判、報道など、様々な状況で行われている。だが、そもそも他者の「証言を聴く」とはどのような行為なのだろうか。本報告では証言を「出来事を『個的な体験』として回想し、他者が知るべき『事実』として言語的に説明する行為」と定義したうえで、この問題について想起の心理学の視点から検討を行った。
司法における証言の評価は専らその「事実性」、すなわち説明の内的な一貫性、常識的な視点での了解可能性、および他の証拠との整合性の観点から検討される。法廷における証言を聴く行為(尋問)は、これらを逐一確認するために遂行されるが、特に了解可能性と他の証拠との関係を検討するために、説明をトピックごとに切断し「部品化」する作業が徹底して行われる。
これに対して報告者が開発を進めてきた心理学的な証言評価技法である「スキーマ・アプローチ」では、証言を「体験性」の観点から捉えることを目指す。これは体験を言語的に説明する「行為」に着目し、その行為の展開過程を「想起」として把握可能かどうか検討するものである。ここで想起とは脳内にある記憶情報の言語化といった認知心理学的な過程ではなく、環境を現在と過去が二重化したもの(かつてあったものが、いまはない)として身体的に探索する生態心理学的な過程である。体験に基づかない証言の場合、証言者は想起ではなく、様々な情報を統合して体験を偽装した説明を「推論」を通して生成する。このような偽装的な証言の生成過程と、想起を通した生成過程には、特に文体や談話の構成などに証言者固有の質的な差異が生じる。スキーマ・アプローチが証言の体験性を検討するために着目するのは、このギャップである。
想起と推論のギャップを通して体験性を検討するためには、証言を聴取者の視点で部品化せず、証言者によって自由に展開させることが望ましい。このように証言者の自由な語りを引き出すことを核とした証言聴取技法が、すでにいくつか開発されているが、これらの技法において重要となるのが、証言者が聴取者の想定を超えた、あるいはそこからずれた過去体験の開示(想起の不意打ち)を行うことを受け入れる、聴取者の「受動性」である。聴取者が会話の過程を方向づけつつも、徹底的に受動的となることで、証言者の自由な想起(現在を過去との二重性を通して探索する身体的行為)が可能となり、体験性を検討可能な部品化されない証言の聴取が可能になる。この意味で証言を聴く行為とは、相手に自由に攻撃をさせながら、それらをすべて巧みに打ち返し続ける、卓球の「カットマン」のような位置取りで証言者とのコミュニケーション過程に参入することであると言える。
証言における体験性に関する以上の議論をふまえ、本報告では最後に、証言のような個的な体験説明の過程だけではなく、集合的記憶の問題についても、体験性の観点を組み込むことを提案した。これによって過去についての情報が単に共同体内で流通、共有されている状態と、それらが成員の「記憶」となっている状態を峻別可能となり、より精緻な議論が展開できるものと期待できる。
<参考文献>