要旨

「ディアスポラの記憶と想起の媒体に関する文化人類学的研究」
共同研究にあたっての趣旨説明

岩谷彩子(京都大学)


 本報告は、共同研究の目的と問題の視座を分担研究者・連携研究者で共有することを目指して行われた。共同研究の目的は、「ユダヤ人と『ジプシー』という移動と離散を強いられてきたディアスポラを例に、共同体が想起される契機に着目することで、起源との関連で語られがちであった彼らの共同体の持続をうながしてきた記憶のあり方を解明する」というものである。関連する問題視座として、
(1)ディアスポラにおける共同体の記憶
(2)想起の困難さと共同体
(3)過去を記憶/記録する媒体
と3点から先行研究が整理された。

(1)では、ディアスポラという言葉が集合的な記憶の探求を可能にし、ネイションという支配的な表象の中では断片化され、周縁化され、閉塞させられてきた歴史を回復する可能性を開く一方で、共通の文化的同一化を強調することで、ジェンダー、階級、人種やエスニシティの階層秩序を見えなくする点、故郷を喪失する前の「単一の」領土、言語、共同体が措定される点について確認した。そこで必要となってくるのは、「ディアスポラ」としての不完全さ、単一の郷土の共有不可能性が可能にする外部からのラベリングと内部のつながり方の多様性を、微細なフィールド分析によって明らかにすることである。

(2)で批判的に検討されるのは、1980年代以降、「記憶の場」をめぐるポリティクスの議論の中で大勢を占めてきた、想起によって構築される共同体やその成員についてのとらえ方である。ユダヤ人や「ジプシー」といったディアスポラの共同体をとらえるうえで重要なのは、トラウマ的記憶や忘却といった想起の困難さ、あるいは他者の過去に対する間身体的な接触のなかで共同体が生起するという視点を掘り下げる必要がある。

(3)は、これまで共同体の記憶が想起する主体を中心に構築されるとみなされてきた点を再考する視点である。アルヴァックス[1950]の集合的記憶の議論でも、「集団の観点」を形成する想起に用いられる物質的な基盤が重視されていたが、記憶を特定の個人や集団に還元する視点を回避し、想起をうながすものが人間間の相互行為を促し、ネットワークを構築したり解体したりする側面から共同体の生成をとらえることができるのではないだろうか。ものが集積しネットワークを形成するなかで生じる主体の消失は、主体を超えたつながりを惹起し、異なる語りの可能性を潜在させた「文化的記憶」[アスマン2007]を形成しうる。この個人および集団に潜勢する記憶を形成する「想起の媒体」の役割を検討することで、ディアスポラ共同体の持続のメカニズムに迫ることが可能なのではなかろうか。

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